『呪いのワンピース』と『響け!ユーフォニアム』8話について

一度着てしまうとその身に不幸をもたらすワンピース。そんな代物に心奪われてしまう少女たちの群像劇を描いた作品が『呪いのワンピース』でした。今年になってようやく配信が開始された作品であり、監督・作画監督木上益治さんが担当されていることを知っていたファンや本作の制作に携わっていた京都アニメーションのファンの間では待ちに待ったと感じていた方も多いのではないでしょうか。

 

自分もその一人であり、とても楽しみにしていました。ただタイミングなどもあり公開からしばらく観ることが出来ていなかったのですが、つい先日ようやく視聴したのでその所感を書いていこうかなと思います。

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まず目を引いたのは少女たちのアンニュイな表情でした。どこか遠くを見据える視線、情感のあるレイアウト、宙に浮かぶ想い。片肘をついたり細かい芝居づけも含め、どこまでも彼女たちの心情を伺っていくような表情の映し方には強く心を奪われました。

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重たそうな瞼の表現。正面から見た表情にも、横から見た表情にもそれぞれ独特なニュアンスの感情が載せられています。もっと女性らしくなれたら、あの人にふさわしい人になれたら、美しくなれたら。そういった想いが遠く理想の彼方にある自分に繋がっていくようなイメージ。キラキラした想い、というよりはとても偶像的なものを見つめているような表情で、普段の彼女たちが表現ができない裏側に潜む感情を徐々に滲ませている印象がありました。

 

そうして感傷的な想いを折り重ねていく表情の数々。線の数が多いわけでも、立体感を出すため影が多用されているわけでもありませんが、一つ一つの線の質感が表情へ与える情報は余りにも多いのだと思い知らされます。前述したレイアウトの良さも同様です。被写体の周囲に空間を作ることでもたらされる情感。それぞれの登場人物が抱える感情を見事に捉える映像が、本作の良さを十二分に引き出していました。ホラーテイストな話の中に含まれる感情劇が本作の大きな魅力でもありますが、それを支えていたのは紛れもなくそういった絵の良さ、芝居づけの良さなのだと思います。

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それはこういった芝居・描写でも表現されていました。普段の彼女たちが心の奥底に抱え続けていた悶々とした想い。それが呪いのワンピースを着ることで表層へと溢れ出す、それは例えばこうした"スカートが翻(ひるがえ)る"瞬間にも合わせて言えることなのだと思います。靡くスカートの端々が女性らしさを演出しているのはもちろんですが、その動きから表現される華やかさが彼女たちの"これまでとは違う一面"を描いていたのは間違いないはずです。だからこそ、心の裏側にあったものが見える、心が翻るという心的変遷が動作・芝居的な側面からも描かれているように見えたことはやはり感じ入るものがありました。

 

このパートで言えば鏡を象徴的に使っていたのも印象に残ります。もう一人の自分、閉じ込めていた想いがまるで姿を現したような。室内レイアウトの中、鏡だけしか映さない大胆さ、その鏡を立体的に浮かべ実在感をもたせる描き方も、きっとそう思えることに拍車を掛けていたのだと思います。

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こういうカットも同様です。前述してきたようなことを意識して観ていたからなのかも知れませんが、やはりスカートが靡く、翻るカットがやけに印象に残ります。対象のカット数そのものが多いわけではありませんが、彼女たちがスカートに魅了され始める瞬間、抑圧していた感情が溢れ出すと同時に同類のカットを挟むことにはやはり大きい意味があるように感じます。

 

加えて、そう感じてしまうことにはこの作品、この物語へ直接的には付随していない、ある作品の面影が大きな要因となっていました。

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それは後に京都アニメーションが制作することになる『響け!ユーフォニアム』、その第8話です。コンテ演出に藤田春香さん、シリーズ演出に山田尚子さん、監督に石原立也さんと、今の同制作会社を代表するスタッフが名を連ねますが、遡り『呪いのワンピース』を観るとその延長線上にあの8話があったのかと、思い至らずにはいられませんでした。

それもこの挿話の山場となる大吉山でのシーンを思い返せば、必然と重なるものも見えてくるのではないでしょうか。そう、それがスカートの靡きと翻りなのです。特にこのシーンは麗奈が久美子にいつもとは違う一面を初めて見せるシーンでもあり、その多面性、想いの裏表の象徴としても翻るスカートが非常に印象的に描かれていました。*2

 

さらにこのシーンから遡り、二人が登山を始めるシーン初めでは久美子が麗奈を見つめこうも独白しています。「高坂さんの真っ白いワンピースと少しひんやりとした青い空気に見惚れて、私の頭の中は雪女のお話でいっぱいになった。不安を感じながらもその美しさに惹かれ命を落としてしまう気持ちというのは、こういうものなんだろう」と。もちろん『呪いのワンピース』作中で明確な死が描かれたかと言えばそうではありませんが、死に近いものへの畏怖を称して"呪い"と呼ぶのであれば、それは久美子の語る雪女の伝承ともとても近いものがあったはずです。
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こういった靡きも同じです。 どこか妖艶で、開く花弁のようにも見え、彼女の笑顔を作り出す契機(内面の象徴)として靡きや翻りが描かれる。奇しくも『呪いのワンピース』でも、広がるワンピースの全体像を花に見立てたカットが描かれていましたが、そういった重なりもこの挿話とあの作品を繋げて観てしまう理由の一つなのだろうと思います。

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また、作中で久美子は麗奈に対して抱いた気持ちをこうも吐露していました。「吸い込まれそうだった。私は今、この時なら命を落としても構わないと思った」と。

 

その台詞の際のカットを観ると"(麗奈の瞳に)吸い込まれそうだった"と語っているようにも聞こえますが、麗奈が久美子の額に指をあてる辺りから始まるシーン単位での流れや、先ほど引用した久美子の独白、「高坂さんの真っ白いワンピースと...」という台詞と雪女の話を鑑みれば、やはり久美子はワンピースを着た麗奈の姿(ともすればあの強烈な靡きを含めた像)そのものに「吸い込まれそうだった」と語っていたことが分かるのではと感じます。

ではなぜ、久美子は吸い込まれそうだったと、命を落としても構わないとまで言い切れたのか。それはあの時、麗奈が初めて魅せたもう一つの面をその姿から印象的に垣間見てしまったからなのでしょう。夜に映える白いワンピースとその姿から滲む空気感、いつもは見せない特別な表情、声音。そういった一つ一つの要素に知らずと惹きつけられてしまったからこその言葉であり、それらを包括したモチーフとして象徴的に描かれたものがワンピースの靡きであり、翻りなのだと思います。

 

いつもとは違う少女性と、その内面を覗かせる裾の軌道。それこそ底の見えない不の感情(死や呪い、またはそれに近い不安)と美しさが表裏一体であることの例えてとして、この8話の物語の意味が一つあったのであれば、それはまさしく『呪いのワンピース』に込められた普遍的なテーマ性に通ずるものがあったはずです。振り返ればあの作品で描かれたワンピースの存在も不安と美しさの象徴でした。着てはまずいと思わせる空気感と、それでも着てしまいたいと思える優美さ。まるで少女たちを誘(いざな)うようにも見えるワンピースの翻りが、そのまま彼女たちの内面性を描くことの意味。言うなればあの時の久美子は、呪いのワンピースを前に着る決断を下した女の子たちと丁度同じ心境だったのかも知れません。

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また、大分話はずれますが、京都アニメーションのワンピースの翻りで印象的だったものを一つ。それがこの『MUNTO 時の壁を越えて』の冒頭シーン。主人公のユメミが自分たちが住む世界とは違う、もう一つの世界の存在に直感的にふれるシーンですが、ここでも印象的な靡きと翻りが描かれます。京都アニメーションが描く少女たちは、時としてワンピースの靡きと翻りにもう一つの世界/内面を映しだし、その内側に魅了され次の物語へと導かれていくのかも知れないと、なんとなくそんなことを考えてしまいました。

 

特にこの『MUNTO』は京都アニメーション制作の初期作であり、この作品の監督をしているのも『呪いのワンピース』と同じ木上さんです。それこそ靡きとかは全然関係ないですが、自分が『響け!ユーフォニアム』に初めて魅了されたのも木上さんが演出をされた5話だったなあとか。なんだか、そんなことまで思い出してしまいました。それこそ氏が創り出した映像に導かれ今もこうして京都アニメーションの作品を自分が観続けていることも、もしかすればここでふれた少女たちの歩みと同じなのかも知れません。どうしたって魅了されてしまう。魅了されたから着/来てしまう。でも、なにかに惹きつけられそれを好きになってしまう感情というものは、そういうものですよね。本当に、そう思います。

本編 祐子/香穂里/美智代

本編 祐子/香穂里/美智代

  • メディア: Prime Video
 

*1:サムネ画像参考:

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*2:参考記事:

最近観たアニメの気になったこととか2

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前回の続き。『薄明の翼』7話。1話のリフレイン的な導入からさらにその先へ進んでいくようなイメージショットの数々。その中で、一番印象に残ったのがこのカットでした。これまで『薄明の翼』では光と影の境を穿つようなレイアウト、ライティングが強く生かされていて、それが物語的にも一寸先にある光明のような役目を果たしていたと思うんですが、このカットはそういったシーンの集積のように感じられてすごく感動しました。

 

空のイメージショットや靡きとかは、この前のシーンで描かれたアーマーガアに乗って空を飛ぶシーンの解放感、世界の広がりに由来している部分も大きいのだとは思いますが、ここで影がほぼつかない順光になることにはやはりこれまで描かれてきた7話分の物語へのアプローチを感じずにはいられないというか。迷って、悩んで、考えて。そうやってポケモンたちと寄り添い、自分自身と向き合いながら歩んできた一人ひとりの物語がこのジョンのカットに仮託されていたような印象を受けました。世界はこんなにも広くて、自由なんだっていう。そんな気づきを祝福するように青空が彼を支えるっていう構成。それが他の話数ではライティングとかハレーションとか、月灯りとかで表現されていたなあという。

 

もちろんそれはジョンにとってもそうで、ずっと病院に居た彼が描写的にも初めて敷地外へ出たシーンでもあったので。あとそういうシーンに至るまでのポケモンバトルを、ああいう自由度の高い、世界の奥行きを感じられるアニメーションで描いてくれていたことには一層のこと感動しました。自分が作画といものに没頭するようになった理由の一つでもあって。たった一つの動きが、芝居が、描写が、こんなにも作品世界の奥深いところにまで導いてくれるんだっていう。あの気持ちを改めて強く実感させてくれたような気もしていて、そういう意味も含めすごく大好きな作品になったと思います。山下清悟さん的には『夜桜四重奏ハナノウタ』10話とか。あれを当時観たときの感動とすごく似ていたのも自分的には大切な体験だったなと思います。

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カット単位で言えばリザードンが最初の一歩を踏みしめるカット。話の展開とか、カッティングも大きく寄与しているのでこのカットだけでというわけでは決してないのですが、それでもこの一歩の巨体感、ぐっと前に出る印象をカメラワークでも盛りつけていて、T.BとPANでより大きく見せているのがすごく雄大で良いんですよね。前景で掘り起こされ跳ね上がる地面とか。なんか無性に感動できる。あと音楽と音のつけ方が最高で、そういうのも合わさってこのカットくらいから少し泣き出してしまいました。主人公のジョンにとってもこの場所に立ち、ここから見る風景をどう捉えるかっていうのが一つ主題になっていたと思うので、POV的なイメージを追加している意味でもこのカットの意図ってすごく大きかったんじゃないかなと思います。たぶん。

 

※Weilin Zhangさんはこのカットの後に、リザードンが炎を吐き出す辺りを担当しているようです。ご指摘ありがとうございます、訂正します。

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『それを愛と呼ぶだけ』。フィルムの質感、切り取られていく日常へのアプローチ、繊細な芝居がめちゃくちゃ良かったです。青春って感じの映像なんですが、青くはなくて、淡い。気怠さもあって、(果実的な意味で)青々しさがあるというか。いや、無理に言葉にする必要はないんですが、でもとにかく良い…っていう。こういうカットとか一つとってもすごく良いんですよね。あと柱時計のカットとか。撮影、色味。映像そのものが持つ情感とか、フィルムの表情って言うのはこういう何気ないBGのカットにこそ宿ることがたくさんあるんだなっていうのを再確認させられました。あと黒板のとこですごく『リズと青い鳥』を意識しました。あの作品に黒板をフューチャーしたシーンがあったかと言われれば微妙ですが、みぞれが音大受けることを優子たちに希美が言ってしまう場面とか、なのかな。たぶん色味とかは全然違うと思うんですけど、あくまで自分の中の印象の話です。*2
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光をフィルムの中に自然に落とし込むため(光を差し込みたい)なのかアイレベルの低いカットや、煽りのカットが多かった印象もあります。あまり俯瞰的にしない、というのは映像のコンセプト的にもそうなのですが、物語的に彼女たちを余り客観視し過ぎない映像にするためでもあったのかなとかは感じました。MVということも含め、めちゃくちゃ余白のある映像でもあったと思うので。もちろん、真俯瞰のカットとかもあるので、それ以上にこういうカットが印象に残る、という話なのかも知れませんが。あと単純に足元くらいの位置から撮るレイアウトって良いよねっていう。階段昇る芝居のとことか、あれは芝居もすごく良かったです...。

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こういうカットとかも。煽り気味に余白を撮るカット。めちゃくちゃ良いです...。あと昨年、『羅小黒戦記』観たときとかも思ったんですけど、色味の良いアニメって本当に良いなっていう。最近だと『22/7』7話とか、『SSSS.GRIDMAN』9話とか。もちろん撮影の良さっていう話にも直結していくものなのだと思いますが。こういう映像を観れた時の幸福感が、もう本当に堪らないです。

 

*1:サムネ参考画像:

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*2:一応、この作品を担当されたちなさんは、以前ヤマノススメ10話の演出をされた時に山田尚子さんの演出に影響を受けていた(作業当時は『リズと青い鳥』未公開時)という旨、ファンボックスに書かれているので、そこからの繋がりもあることを踏まえての印象です。興味のある方、読みたい方はちなさんのファンボックスに入ると良いと思います。

最近観たアニメの気になったこととか1

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『彼女、お借りします』3話。すごく良い表情芝居とか感情がダイレクトに出る感じがとても好きな作品なんですが、3話のこの表情が本編を通して一番好きでした。主人公の和也って原作だと話が進むにつれこういう表情をよくするようになるんですが、それが垣間見れたこととか、彼も彼なりに考えていたり、思うことがあるんだよっていうことを示してくれるカットがここでスッと描かれたことがとても嬉しかったです。

 

それと指の立体感がめちゃくちゃ良くて、それが前述したような心情に寄せるキーパーツになっているのも素敵だなと感じました。光と影の境界、心の深度。フラットな表情にみえて、それを支える頬杖に面積の多い影がかかることですごく感傷的になれる。まるでかかる影が彼の心の内を少しだけ覗かせてくれるようで、だからずっとこのカットが印象深く心の内に残っているのだと思います。

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影の立体感だとこういうカットとかも。カットの繋がり、話の流れ的にはまだ感情曲線的にも中ばくらいのところだと思うんですが、こういう絵が入るとやっぱりドキッとしてしまいますね。それこそその人の内面に迫るような感覚もあって、さきほどの話にもリンクしていくんじゃないかなと。この作品のキャラクターデザイン、この話の総作画監督をやられているのが平山寛菜さんですが、平山さんが参加されていた『Just Because!』8話についても、以前同じようなことを感じていたのを思い出しました。

そういえばこの作品にも参加されていたなと調べたら、丁度この話数の総作監もやられていたのを知れたのは嬉しかったです。やっぱり普段立体的な影づけなどが強く描かれない作品の中で、立体感のある表情だったり、芝居が描かれる瞬間って言うのは当事者の心情的に大切な瞬間だったり、なにかを想う時間だったりするのかなとかは考えます。もちろんそれぞれの絵が修正ゆえのものなのか、パートを担当された方のタッチなのかはわからないので、例えばそういった作画が〇〇さんの特徴、とかが言いたいわけではないです。ただ関連して思い出したっていうのと、シーン中のカット単位の意味合いとしては強く重なるなっていう。影が作り出す立体的な感情、というか。そんな感じです。

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『放課後ていぼう日誌』3話。このカット、芝居づけがめちゃくちゃうまくて感動しました。紐の細かい挙動もそうなんですが、それ以上にその紐を引っ張る手先の芝居がすごく素敵で。ただ引っ張るだけじゃなくて、薬指?を途中で一本かませる。この芝居が入ることで、ものすごく人間味がますなと感じます。動きの中に余白ができることで生活感が出るというか。

この作品自体、わりと時間の流れが遅くて、ゆったりした時間間隔があるんですよね。だからこういう芝居が入ると余計に良さを感じてしまうというのもあるんだと思います。これが彼女のルーティーンで、この指遣いが彼女の呼吸で。そういうのをすべて含めての生活感。個人的には、この芝居が入るのと入らないのでは印象がまったく変わるので、やっぱりこういう芝居が入ると嬉しくなってしまいます。芝居のうまさに感動するというのもそうですし、その人の人物像に近づけるような気もするので。

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余談ですが、こういった芝居にも同様のことを感じます。ただ立ち上がるだけではなくて、その際にお尻を二度ポンポンとはたく。あくまで自然に。生活の中の一部として芝居が収束していくように。そこになにか情感とか、その人の気質とかを感じられるのがすごく嬉しいし、楽しいんです。タイミングの良さや動的な気持ちよさなど、作画的な良さを感じてしまうのはもちろんですが、それが自分の中で "なにか" に結びついていくとより良さを感じてしまうというか。一つの行動が始まって終わるまでの中にもう一つ、二つ芝居が入ったり。そういうのが、もうすごく好きです。

 

最初に挙げた『彼女、お借りします』でもヒロインの千鶴がご飯を口元に運ぶ際に浴衣の袖を抑えたり、電話に出る前にあてる方の耳にかかった髪をかき上げたりとかありましたけど、ああいう芝居が入るだけで本当に本当に良いな… という気持ちにさせられてしまいます。

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涼宮ハルヒの憂鬱』。知人とエンドレスエイトを通して観たんですが、その中でも特に三好一郎さん演出回、その中の長門のバックショットには感動してしまいました。やはりこういうカットを撮るのが三好さんなんだと。登場人物たちを見守るよう、柔らかく雄大なスポットをあてるように印象的なカットを要所で決める。そのすごみはやはり筆舌に尽くせないものがありました。長門の想いと、漠然とした何か。確かなものがあるわけではないけれど、なにかがそこにあるような。『響け!ユーフォニアム』5話のラストカットも同系統のカットでしたが、あのカットでも本当に感動させられました。シームレスで隙のないカッティングなんですが、こういうカットでは溜める。その流れ、コンテ構成の凄みに改めて気づかされたなと。他の多くの作品でもこういったバックショットやミドルショットは使っていますが、その話についてはいずれ機会があれば書いておきたいなとは思っています。

 

そんな感じで、今までやってこなかった要所の感想を今回は書きました。これまでは書くならしっかり書きたいという思いから、ああいう文章の形をとってきたんですが、それが原因で色々ブログ書けなくなっていたりもしたので、今後はこういう形でも思ったこと、感じたことを適度に出せればなと思っています。他にもまだ書きたい話とかあったんですが、さすがに長くなってしまうので、次回に分けます。たぶん。近いうちに書ければいいなとは思います。あと記事のタイトルはとりあえず適当なんであとで変えるかも知れません。たぶん。